昨日夕方に行き成り飲みに拉致られ池袋で軽く飲んだのですが、その後友人の家でウダウダしてたら何時の間にか
風邪を引いてました。
それって何て
二日酔い?ではなく、夜中の3時過ぎに寒気と熱っぽさと頭痛と吐き気に耐えながら、朝生を流してたんですが、田原総一郎氏の声を聞いてたら
逆に症状が悪化しました。
あー、ツライ。
ぼーっとした頭で耳に聞こえてきた朝生は、どうにも天皇メモの発見から、今こそ歴史を見直すべきという内容だったみたいですが、別に歴史の再検証をするだけなら研究者が今までもこれからも追求していく課題であって、政治的な視点から見直すのであれば、何の為の裁判であったり条約であったりするのでしょうか。
一応死刑になったり獄中死した人もいたはずなのですが、あの戦争は悪だったという視点から見ると、それは当然の事で他に裁くべき何かがあったという事なのでしょうか。
歴史を考える時に、現代の、特に日本人というのは、今現在の自分が正しいという視点からでしか歴史を認識することができないと述べた人がいました。
ちょっと度忘れしたんで出典は思い出したら書き留めたいと思いますが、当時の価値観というものが、確かに現在の私達には完全に理解することは不可能だとは思いますが、それを無視して語るのは余りに独善的ではないでしょうか。
田原氏の質問にも、ハル・ノートを叩きつけられてどのような選択肢があったか、というものがありましたが、現在の価値観において現実的な解法を答えられる人はいませんでした。
ハル・ノートを叩きつけられる前に満州から撤退しておけばよかった、その政治判断ができなかったことが間違いだという人は、日露戦争で何故日本があれほど勝ち目のない戦いに挑まなければいけなかったかと理解していません。
まぁ、坂之上の雲は小説として、現代の半島に何故米が軍隊を置いているかを考えれば、太平洋における対露、現代においては共産圏との戦いの前線基地としてあると考えられます。
満州はただ実利を貪るだけでなく、対外戦争として日本を守るために必要だったと考えれるのが自然で、ロシアの本能は略奪だと言われた時代に一体どのような政治判断を行ったら撤退できるのでしょうか。
そこには勿論戦意を煽ったメディアの責任もありますが、結果として時代の流れとして仕方なかったとしか言えないのではないでしょうか。
場末の市民であれ英傑であれ、個人の判断で歴史が動くことは殆どありません。
それが誰かの独断と後世の我々が捉えても、そこに彼が至る過程には、個人を超えた様々な意思が絡み付いているはずです。
何が真実かは、時代時代に舞台に立ってる人しか解り得る事はできないでしょう。
読み解くのみの私達は、出来得るなら立場や思想を忘れて、何が真実かを追究し続けなければいけないとは思いますが、絶対客観なんてありえませんし、難しい所ですね。
こういう事は当事者ならぬ立場の人が検証するのが一番中立だと思うのですが、日本の文化はどうにも外国の方には誤解され易いのが何とも言えませんね。
個人的には知日とかいう言葉嫌いなんですが、どうなんでしょ。
しかし、風邪キツー。